読む美術展「彫刻書記展」が開催——16人の識者が「彫刻」をめぐる書き下ろしテキスト発表
News Release
読む美術展「彫刻書記展」が開催——16人の識者が「彫刻」をめぐる書き下ろしテキスト発表
寄稿者:遠藤麻衣、大岩雄典、小田原のどか、利部志穂、齋藤恵汰、gnck、柴田英里、鈴木操、関真奈美、高橋銑、土屋誠一、長谷川新、原田裕規、布施琳太郎、眞島竜男、峯村敏明

 

2019年11月19日

「彫刻の可能性」を思考する——16人の識者による「彫刻」をめぐる書き下ろしテキストが発表される "読む" 展覧会、「彫刻書記展」を、11月29日 (金) から12月15日 (日) まで、四谷未確認スタジオにて開催いたします。

本企画は、「彫刻」という芸術カテゴリーが辿った複雑な歴史と批評について、現代的な観点から問い直し、リソースとして共有できる空間の創出を試みます。

現代において「彫刻」の社会性や機能性について、ほかカテゴリーとも結びついた議論がさかんになされるなか、しかしその「議論の根拠として扱われる言説の乏しさゆえに、日本における彫刻の起源性への強迫観念的な回帰がたびたび引き起こされている」という問題意識に端を発して本企画は立ち上げられました。


寄稿者には、彫刻の専門家だけでなく、より広い視点とバックグラウンドを持って芸術に関わる、キュレーター、美術批評家、アーティストなど16人が集まります。


寄稿され、展示されるテキストのトピックとしては、「彫刻のありえたはずの形式・様式の発掘」「彫刻に託されている社会的・政治的な理念の受容状況」「グローバル化と都市空間における彫刻の速度」「デジタル表現以後の彫刻の可能性」など、従来語られてきた「彫刻」を起点としつつも、さまざまな角度から「彫刻」という思考について語ることが試みられています。


また展示テキストは、会場で配布される空のフラットファイルに入れて持ち帰ることが可能であり、観客は展覧会の内容をそのままあらゆる場所へ持っていくことができる、展覧会のモビリティ性も一つのテーマとなっています。


「彫刻は今、新しく始まる契機を得ています」。本展に寄せたステートメントにおいて、企画者である彫刻家、鈴木操は、こう宣言します。

あえて展覧会という形式でテキストだけを公開することで、従来の展覧会が持つ「観る」という体験を「読む」という体験へと書き換え、「彫刻」を描写するボキャブラリーを新たに培養し蓄積する場の構築を目指すことが本企画の本懐です。


本企画を通じて、従来の「彫刻」のイメージを再確認するだけでなく、むしろ「彫刻」ではないものは何かと問いを延ばすこと、また広い意味での物質と身体の関係性へと「彫刻」というモチーフを開いていくきっかけとして、本展をぜひご高覧ください。

開催概要

「彫刻書記展」

会期:2019年11月29日 (金) - 12月15日 (日) ※金土日のみオープン
会場:四谷未確認スタジオ (東京都新宿区四谷4-13-1)
時間:13:00 - 20:00
入場料:500円


寄稿者:遠藤麻衣、大岩雄典、小田原のどか、利部志穂、齋藤恵汰、gnck、柴田英里、鈴木操、関真奈美、高橋銑、土屋誠一、長谷川新、原田裕規、布施琳太郎、眞島竜男、峯村敏明 (五十音順)


主催:四谷未確認スタジオ
企画:鈴木操
協力:西田篤史


展覧会イメージヴィジュアル:山本悠

関連イベント

11月30日 (土) 17:00- / オープニングパーティ


12月6日 (金) 17:30- 19:00- / 読書会・トークイベント / ゲスト:梅津庸一、 長谷川新
梅津庸一さんがゲンロンβ39に寄せられた「展評――尖端から末端をめぐって 第7回ステージの上の彫刻たち――小谷元彦「Tulpa - Here is me」展によせて」の読書会を行います。その後19:00から梅津庸一さんと長谷川新さんをお迎えしてトークイベントを行います。

12月14日 (土) 18:00- / トークイベント / ゲスト:利部志穂、 眞島竜男、鈴木操
トークテーマ「パフォーマンスと彫刻」

「彫刻書記展」に寄せて  鈴木操

本企画「彫刻書記展」は、私たちという存在に先行するものたちへの思慮から着想されました。


現代のグローバルな時間軸や資本主義空間では、地政学的あるいは生態学的に現実社会を分析し芸術活動として展開する傾向がもっぱらですが、しかしその根拠となっている、それぞれの芸術カテゴリーが持つ個別な時間性やその組み替えを、どのように眼差していくかの工夫を、私たちは怠るわけにはいきません。


なぜなら、社会が陥っている分断や困窮に対し、どのように向き合っていくべきかの精神的な道具立てを、芸術はそれ自身の深みにおいて、これまで開示してきたからです。


絞った視点になりますが、元来コンセプチュアルアートやパフォーマンスアートは、グリーンバーグ流のフォーマリズムから逃れる為に開発されたものでした。そしてこのような反フォーマリズム的発話が作り出した時勢と結びついた彫刻という技芸は、放出的に解体・拡散していきました。

現在そのベクトルは、必然的に国や起源性といった同一性を根拠とする振る舞いと合流し、それはアウトドアの只中にあるように見えます。

では今改めて、「彫刻とは何か」と、問いを立ててみましょう。


現在の社会が複雑に反映された芸術状況の中では、この問いが持つニュアンスは大きく変わりつつあり、いささか自閉的な操作であるように見えるかもしれません。

ただそのような見方は、彫刻という関数の陳腐な標準化を進めるものになると考えます。

と言うのも、彫刻が歩んだ解体の歴史は、明らかに偶然の中で展開されたにも関わらず、現在では当たり前のことであったかのように、疑いなく参照されています。

その意味において、現在彫刻が取り戻すべき外部性は、むしろ「彫刻とは何か」を問うことの中にあると考えます。

彫刻は今、新しく始まる契機を得ています。


そして本企画が目指すところは、新たな彫刻の基盤作りであり、またその足がかりの共有です。それを押し進めることで、時代の変わり目である今、新たな価値観の提示が出来ることを確信しています。


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なぜ書記展なのか

言葉が発せられる空間やその状況は、ダイレクトに観客の創出に影響します。今回彫刻の個別な時間性にアクセスするために、そのような時間の流れが可能となる空間の設定が必要であると考えています。現在、twitterやnoteの様なブログ的プラットフォームの利用において、テキストを発信することが簡易になってきています。しかし情報化が日々進む社会において、与えられたプラットフォームに集中的に情報が集まり言葉が留まることは、そのような空間がすでに持つ雰囲気や空気、運営する人間にイニシアチブが握られてしまうことを意味します。このような情報環境の中、あくまで「展示」という形式に留まる形でテキストを脱臼的に発信してみる試みです。


渋都市|SHIBUCITY
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